ギャンブル放浪の話1
私の地元はギャンブルのメッカだ。パチンコ・パチスロ、麻雀、競馬、幅広い年齢層の主たる娯楽として賑わっている。私もその娯楽にあやかる1人で、大学生の頃はよくお世話になっていた。というのも、地元にはギャンブル以外の娯楽がなかなか無いからだ。私の地元は酒飲みが多いと言われる県でも有名だが、大学生の時分に飲み方など分かるはずも無く、必然のように大学の友人とはギャンブルで遊ぶ機会が増えていった。
地元の雀荘ではサンマが主流だった。昔から雀荘にいる老人達がサンマを好んでいるというのもあるが、私たち大学生もサンマを打つ、いや打たざる他ない理由があった。ギャンブル仲間とつるんでいると、自然とギャンブラー達との横のつながりが出来てくる。
「○○日は××の店で裏イベントがあるらしい」
というパチンコ屋の情報が仲間達に飛び交うのだが、目の前に落ちている銭を拾わぬ理由無し、と言わんばかりに仲間達と徒党を組んでノリ打ちをする事が多かったのだ。
市内を車で5分も走らせばパチンコ屋が一件は見つかるほどたくさんのパチンコ屋が立ち並ぶ場所なので、ハイエナ台や高設定台が見つかると仲間内にすぐ連絡が回ってくる。
「設定6見つけたから1人要請して」
と連絡が入ると、私たちはジャンケンをして1人現場に向かわせる、といった事をしていたのだが、その待機場所が雀荘だった。半ば店主の道楽として経営していたであろう雀荘は1時間100円という破格の値段だったので、その雀荘で麻雀を打ちながら連絡を待っていた。
そうなると、4人必要で回転の遅いヨンマより、3人でサクッと終わるサンマが主流にならざるを得なかった。
Yくんという仲間がいた。彼は『勝ちたい人』ではなく『ギャンブルがしたい人』だった。触れる事の出来ない話もあるが、パチスロにおいてはただ万枚を出したいだけのいわゆる負け組だった。初めはノリ打ちとして歓迎されていたが、そもそも価値観が違うので負ける一方だったし、その後すぐに代打ち要員へと変わっていった。仲間にもたくさんの借金をして迷惑を掛けていた。
地元にはたくさんのパチプロがいるため単独で勝つには厳しい環境なのだが、借金まみれのYくんを受け入れてくれる人などいなかった。しかも本人は真面目にアルバイトをして返済するという気が無かったので、借金が膨らむ一方だった。
大学を出る頃にはその集まりも自然と無くなり、一部のメンツだけがプロとしてだらだらと続けているという話は聞いた。その内の1人はYくんのようなカモをフリー雀荘やその他ギャンブルに斡旋するような事をしているらしい。大学の友人とはあまり連絡を取っていないので、その後Yくんがどうなったかは知らない。
Yくんが今何をしているのか、ちゃんと借金を返しているのか、時折そんな事を考えながら私は2NLを打っている。
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こめかみ 2015年6月10日 - 7:02 AM
コメントありがとうございます!
今思えばパチスロでいくら稼いでも満足出来なかったのに、今は2NLでちょっと勝っただけでも達成感がありますし、ゲームとして十分に楽しんでいます。
そう考えると、私が本当に欲しかったのはお金ではなく成績による達成感だったのかと思う所はあります。
匿名 2015年6月5日 - 5:08 PM
落ちが秀逸ですね。これからも楽しみにしています。